電子書籍と読者


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電子書籍と読者

書籍も新聞や雑誌もこれからは 書籍も新聞や雑誌もこれからは、必要な部分のみを素早く参照できるようどんどん技術が整備されていくことでしょう。

電子書籍化はその方法のひとつに過ぎません。

紙の本がスキャンされネットワーク上のサーバーにアップロードされることで全文検索可能になったり、新聞や雑誌が1記事ずつ配信されるようになれば確かに便利ですよね。
自分の興味があること、必要のあることだけをすぐに知ることができるようになることは、確かにとても魅力的です。

すでに検索エンジンが日常的なものになりました。
もはや検索エンジンなしにはいられないほど、私たちはデータ化された大量の情報を参照することに慣れてしまっているように感じます。

紙の辞書や電話帳を使って情報を目で探すことが大変手間がかかる作業と感じてしまうように、欲しい情報を探すために1冊まるごと本や雑誌を読むこと、一日分の新聞を読むことを億劫に感じるようになった人が多いのではないでしょうか。

しかし、この便利さは反面、多様な情報に触れるチャンス、たくさんの情報を知った上ではじめて得られる構造化された知性を得る機会をなくす行為なのかもしれません。

高度な知識、技術を得る 高度な知識、技術を得るためには、たくさんの準備段階が必要になりますよね。
例えば「Cという技術を知るために、まずAという部品の知識・Bという道具の知識が必要である」という風に、何かについて知ろうとする場合にはまず、知っておかなければいけない「前提」があります。

こうした前提については、もちろん独学で1つずつ、手探りで学んでいくこともできます。
が、先にこの道を通った人がスムーズにその知識を吸収できるように、「前提」を筋道たてて教えてくれるのが学校であり、1冊の本であり、ひとかたまりの情報であるということが言えるのではないでしょうか。

これを検索によって断片化してしまうことは、便利なようでいて不便、まさに「急がば回れ」の逆を行く行為ではないのか、と思うことがあります。

情報の断片化は電子書籍だけが引き起こす現象ではありませんが、電子化された情報の扱いは細切れになりやすい、そして読者(自分)はそうした環境に慣れつつあるということは知っておいた方が良いのではないでしょうか。